畔田商店

畔田商店の歴史

畔田政治 富山県上新川に出生。
十才の時に東京の築地肉屋に奉公の名称で子守として出される。
点々と職を変え、一旗組に参加樺太に渡る。
樺太で柳瀬組の飯場の管理人として働き、その真面目さを見込まれ根室に渡り来る。
札幌に出てその当時の訪問先で有った栗原柳吉氏に師事し豆腐屋を開業。
その後大戦のため営業叶わず、終戦後の昭和二十三年頃から再び豆腐業を再開。
二代目畔田政直が引き継ぎ、配送面では三輪車導入、製造面ではボイラーの設置と個人経営より当時として業界初のことであった。
自衛隊との取引で一気に業績を伸ばし、島松・恵庭・千歳とその行動範囲を広げた。
その後バブル崩壊等で売上が減少する中、なんとか持ち直し三代目畔田勇が引き継ぎ、現在に至る。
先代が落とした一粒の種が芽を吹き、五十年の歳月によってようやくその形態は固定化の様子が見受けられる様になった事を喜ぶと共に、今一層の努力と多くの協力者を得て百年、百二十年百五十年と営業を続けたいと思います。

畔田商店の歩み

畔田商店の歩み

当社の強み

一、  良質な地下水の活用

当社は藻岩山から流れる地下水が豊富な札幌市中央区山鼻地区である。 藻岩山の水は、カルシウムやマグネシウムの含有量が少ない軟水であり、硬度が28mg/Lと全国と比較しても含有量が少ない。 豆腐はその80%~90%が水分で水質が品質に影響し、大豆のタンパク質はカルシウムによって固まる性質であるため軟水が適している。 地下水がない他社工場は浄化機に通した水道水を活用しているが、残留塩素等が微量に存在し品質に影響を与える。当社では地下水を利用しており、浄水器を通さず一般水質基準を守る最低限のろ過装置で対応している。 地下水による柔らかい豆腐や、こんにゃくが当社の製品の特徴であり、おでんやしゃぶしゃぶ等の煮込み料理では味が染み込みやすく美味しく仕上がるなどの評価が高い。

当社の強み
当社の強み

当社は飲食店等の消費者と直接取引を行なっている。 創業以来、配達により販売開拓を行なっており、市内の小中学校、病院、自衛隊(真駒内駐屯地)、飲食店と取引を広げてきた。 特に、飲食店が集まるススキノ地区とは3kmと近く、50店舗以上と取引を行なっている。 全国にフランチャイズ展開している「北海しゃぶしゃぶ」の札幌市内の店舗や、市内の高級すき焼き「三光舎」とも取引を行なっている。 また、工場でも直接販売を行なっており、地域の主婦層を中心に利用頂いている。 小売店と通じてではなく、飲食店や消費者から直接注文を頂いて取引をしているため、消費者の声を集める事ができる。

二、  飲食店や最終消費者との直接取引